デジタル資料室

「金儲けは結果であり、目的ではない。
食糧難の解決が開業の第一の意義であり、事業は
社会に貢献するところがあればこそ発展する。」
創業者・盛田善平による創業の理念は、
現在のPascoにも受け継がれています。

デジタル資料室では、
創業時から現在までの足跡や想いをご紹介します。

1920 -

敷島製パン創業

敷島製パンの歴史

  • 1919年

    米騒動が全国に広がる

  • 敷島製パン創業(1920)

    善平は、第1次世界大戦による米価高騰・食糧難に苦しむ人々を救うために、米の代用食となりうるパンの製造事業を始めた。ドイツ人製パン技師ハインリッヒ・フロインドリーブを初代技師長として招いて、本格的なドイツパンの製造を開始。名古屋市に直営店「中央販売店」を開業した。

  • 敷島製パンの進展

    直営店である宣伝部開設に伴い、サーカスの象を活用して宣伝キャラバンを行うなど、ユニークな宣伝方法を積み重ねてパンとシキシマパンの名を広めた。和菓子専門直売店「スズノヤ」や、店頭でパン・洋菓子の販売、店内で洋食を提供する「キャンデーストア」を開店するなど事業を多角化。パン小売店200店と特約店契約を結び、販売に力を入れた。

  • 1929年

    世界恐慌が起こる

  • 近代的製パンへの第一歩

    本社に専属の研究室を創設。製パン業としては画期的な施設として、業界に先駆けて科学的なパンづくりを目指した。その後、わが国初の電気運行パン焼き窯を設置し、近代的製パン工場の第一歩を踏み出した。

  • 1941年

    太平洋戦争勃発

  • 戦争下の敷島製パン

    戦時下の緊急時には、企業合同が進む中、営業継続を許され学校給食用のパン、配給パン、軍部への納入用のパンを製造し続けた。

1946 -

事業の拡大

敷島製パンの歴史

  • 戦後の食糧難時代(1946)

    アメリカ・占領軍から小麦援助を受け、飢えに苦しむ国民に向けパンの供給を開始。小学生児童対象の学校給食には早くも「コッペパン」が取り入れられるなど、パンは戦後日本の国民食として浸透していくきっかけとなった。

  • 1947年

    学校給食が再開される

  • 新時代のパン作りに向けた
    体制強化

    わが国の製パン業界において、1952年、ビタミンB1・B2やカルシウムを添加したパンなど、食生活において栄養改善を目指す商品開発に邁進した。また、技術者養成工制度を導入し、社内教育制度の強化に取り組んだ。1955年には、日本の製パン工場機械化の基礎となるA・D・M・I製パン法を完成させ、需要拡大に向けて大量生産、機械化を進めた。

  • 1954年

    高度経済成長期に突入

  • 1958年

    東京タワーが完成

  • なごやん誕生(1958)

    1957年に発売した「金鯱まんじゅう」を「なごやん」と改名して発売。1964年、東海道新幹線の開通とともに名古屋銘菓として広まる。ほんのり甘く、やさしい風味が楽しめる名古屋銘菓として、多くの人に親しまれる商品となった。

  • 伊勢湾台風 被災地支援(1959)

    1959年9月東海地方をおそった大型台風により浸水などの甚大な被害が生じた。被災地へ100万食以上のパンを届けただけでなく被災した特約店の見舞いや「愛のカード」というパンの引き換え券も配布した。

  • 1964年

    東京オリンピック開催

  • 関西圏への進出(1964)

    名神高速道路の開通とともにシキシマパン株式会社を設立し、関西進出を本格化。敷島製パンは中部では高いシェアを占めていたが、大阪では知名度が低く、食の好みや習慣の違いなどからなかなか受け入れられなかった。この頃から、市場の意見を取り入れた商品づくりをするようになる。

  • 販売先の拡大

    交通インフラが整うにつれて、シキシマパンの販売先は一般小売店からスーパーマーケットなどの小売チェーンなどへと広がっていった。

1969 -

Pascoブランド誕生と
ヒット商品の開発

敷島製パンの歴史

  • 1969年

    アポロ11号が
    人類初月面着陸

  • 関東進出と
    パスコブランド立ち上げ(1969)

    新たなブランド名として“PAN SHIKISHIMA COMPANY”から「Pasco」を考案し、関東へ進出。高品質で、他社にはない新しい商品を提供した。関東の拠点として、東京に「パスコ八重洲直営店」を開店した。

  • イングリッシュマフィン発売(1969)

    社員が訪問先のアメリカではじめてイングリッシュマフィンと出会い、日本人に好まれると直感して開発。食べ方やメニュー提案などのPR活動を積み重ねて大切に育ててきた結果、現在でも続くロングセラー商品となった。

  • 新商品の展開

    パンメーカー各社の販売エリア拡大にともない、各社が競合する中で商品開発に力を入れたことが「スナックパン」や「バラエティブレッド」など、その後の新商品発売につながっていった。

  • 1971年

    第二次ベビーブーム

  • 研究開発の強化と
    サンフランシスコ乳酸菌

    製品開発を担当する「開発担当室」を新設し、科学的なパンづくりを一層強化。1973年には、サンフランシスコ湾岸地域のみで受け継がれてきたパン種「サンフランシスコ乳酸菌」を日本で独占的に使用する権利を獲得した。これがのちのヒット商品「マイハート」の開発につながる。

  • 1979年

    第二次オイルショック

1980 -

新時代のパンづくり

敷島製パンの歴史

  • 積極的な海外展開の開始

    ライセンス生産も含めて海外の有名ブランドを国内で展開する一方、高めた技術やノウハウを自社にとどめるのではなく、海外へと展開していった。1979年、Pasco Corporation of America(パスコ・アメリカ)を米・ロサンゼルスに設立。1983年には香港にインストアベーカリーを出店、1995年にはインドネシアで合弁会社を設立するなど、それぞれの国の食生活への貢献にむけて現在も取り組んでいる。

  • マイハート発売(1984)

    「マイハート」はサンフランシスコ乳酸菌を使用し、独占製法特許により日本人の味覚・嗜好に合わせて開発された。サンフランシスコでしかつくれないといわれた「サワードゥフレンチブレッド」を日本で初めて再現し、香ばしい風味が評価を得た。

  • 新生産技術による
    商品開発の活性化

    氷温発酵技術の実用化による「ホットイグルー」、バイオ技術商品であるパネトーネ乳酸菌を使用した「ピコリーナ」やワイン酵母発酵種を活用した「ワイン酵母180」など、技術を生かした商品を次々と展開。ここで培った知見がのちの「吟撰」等の開発へとつながる。

  • 1985年

    男女雇用機会
    均等法制定

  • 1991年

    バブル崩壊の影響で
    内食が増加

  • そのまんまトースト発売(1992)

    パン生地にマーガリンチップを練りこんだ「そのまんまトースト」を発売。焼くとマーガリンが溶け出し、改めてぬる必要がない食パンとして、女性の社会進出が増加し簡便化ニーズが高まる中ヒットした。

  • 阪神・淡路大震災
    被災地支援(1995)

    1995年1月に発生した震災により大阪豊中工場、神戸冷食プラントが被災し、製造がストップ。地震発生から7日間、大阪昭和工場より3万個の菓子パンを支援、3ヶ月間3万4000世帯分のパンや弁当の支援を行った。

  • 1997年

    共働き世帯の割合が
    専業主婦世帯を
    上回る
    女性の社会進出が増加

1998 -

「超熟」の大ヒット

敷島製パンの歴史

  • 食パンNo.1ブランド
    『超熟』(1998)

    発売以来ロングセラーとなっている、Pascoブランドを象徴する商品。炊き立てのごはんのような味わいと、毎日食べても飽きないおいしさを追求し、食パンのナンバーワンブランドとなる。現在も小麦本来の味や香りを楽しめる「おいしくてあんしん」なパンの開発を続けている。

  • 2002年

    日韓ワールドカップ
    が開催

  • 『Pasco』ブランドへの
    統合(2003)

    古くから中部・関西地区を中心に親しまれた「シキシマ」と高いブランドイメージとともにスタートした「Pasco」の2ブランドが新生『Pasco』として統合。Pascoが全国ブランドとなった。

  • パスコ・サポーターズ・クラブの
    運営を開始(2003)

    インターネットの普及を背景に、お客さまとPascoがつながる場所として公式ホームページやパスコ・サポーターズ・クラブの運営を開始。パスコ・サポーターズ・クラブでは、お客さまにファンとしてPascoを一緒に盛り上げていただくと同時に、よりリアルなお客さまの声を反映できる試みを行っている。

  • 2003年

    食品安全基本法が成立

  • 食の安全への取り組みを
    一層強化

    より一層の食品衛生の向上を目指し、1997年にHACCP手法の導入を開始。その後も食品偽装や賞味期限改ざんなどの社会問題を背景に、今まで以上に食の安全性を重視した経営を行う。「ISO22000」の認証や「FSSC22000」の認証を取得し、お客さまに安全・安心な商品をお届けし続けるよう取り組んでいる。

2008 -

国産小麦への挑戦

敷島製パンの歴史

  • 国産小麦『ゆめちから』による
    食料自給率向上への挑戦

    日本の食料自給率の低下、世界各地で起きている天災や人口増加により、食糧不安が広がっていることから、国産小麦を使用した商品開発への挑戦を始めた。2010年、農林水産省が立ち上げた国産小麦『ゆめちから』を実用化させる食品開発プロジェクトに参画。数年の研究・開発を経て、「ゆめちから入り食パン」を発売(2012)。パンづくりを通して日本の食と農業への貢献を目指している。

  • 東日本大震災
    被災地支援(2011)

    2011年3月に発生した震災によりパスコ利根工場とパスコ埼玉工場が被災。その他の工場でも計画停電により一時操業停止、原材料の調達も困難であったが救援物資としてのパンを供給し被災地へ支援を行った。

  • 2011年

    世界人口が
    70億人を突破

  • 多様な社会に対応した
    ビジネス展開

    新基幹システム「SPS(Smart Pasco System)」が本格稼働(2013)。ダイバーシティ推進室を新設し、女性活躍・介護支援・外国人技能実習生の受け入れ・働き方改革をはじめとした施策に取り組んでいる。

  • 2014年

    SNSの普及にともない
    舌より目で
    食を楽しむ時代に

  • 持続可能な未来へ
    −変わらぬ「社会貢献」の思い−

    創業の理念にある「社会貢献」への思いは、国産小麦による自給率向上、ダイバーシティ推進、CSR活動などの環境・社会・経済に配慮した取組みの中に脈々と受継がれている。2015年に国連で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」への貢献も視野に取組みを続けている。

  • 「いつの時代も、社会とともに。」

    100年前、敷島製パンの創業者・盛田善平は、食糧難に苦しむ人々のために米の代用食としてパンづくりをはじめました。時代が移り変わっても、チャレンジ精神を発揮して、社会のために貢献できる企業でありたい。全ての商品・サービスをPascoブランドで展開するようになったいまも、その想いは変わりません。これからも支えていただいたお客さまへの感謝を忘れず、満足していただける商品・サービスをお届けします。