イングリッシュマフィン はじめて物語 情熱は、今もあの日のままに 前編

敷島製パンが東京市場に進出した1969年。
Pascoブランドが誕生したのと同時に発売されたイングリッシュマフィンは
今や自他共にPascoを代表する商品として広く知られています。
実は現在に至るその過程は、まさに「茨の道」ともいうべき困難なものでした。
今回は、Pascoのイングリッシュマフィンの黎明期に携わった6人のキーパーソンに、
発売当時の思い出を存分に語り合っていただきました。

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  • 坪田 正明
    (市場開発 営業/1971年当時)

    入社以来55年間、営業畑を一筋に歩む。1973年多摩工場竣工に合わせて名古屋から転勤。イングリッシュマフィンの黎明期から販売に携わり、営業の最前線でイングリッシュマフィンを広めた。

  • 鈴木 将悦
    (目黒工場 管理課長/1969年当時)

    八重洲直営店・二子玉川高島屋などの新規出店に携わり、いずれをも成功に導く。阿部氏・磯貝氏の上司として、イングリッシュマフィンのプロモーション、ブランド戦略を統括。

  • 小川 敏弘
    (目黒工場 開発/1969年当時)

    製造・開発職として、イングリッシュマフィン立ち上げから携わる。イングリッシュマフィン独特の生地と格闘しながら、数えきれないほどの試行錯誤を通じて、商品化を実現。

  • 山口 弘文
    (目黒工場 設備課/1969年当時)

    当時日本には存在していなかったイングリッシュマフィンの量産設備を、手探りで構築。ひたすらトライ&エラーを繰り返しながら、製造設備ラインを造り上げた。

  • 阿部 博
    (目黒工場 管理課員/1971年当時)

    パッケージデザインをはじめ、ポスター・新聞広告・ノベルティに至るさまざまなデザインで、イングリッシュマフィンとPascoのブランドイメージを確立した。

  • 磯貝 俊勝
    (目黒工場 管理課員/1971年当時)

    店舗のイメージからネーミングまで、イングリッシュマフィンの販促の根幹を担った「知恵袋」的存在としてPascoブランド構築に大きく貢献した。

インタビュー

ないない尽くしのスタートでした。(鈴木)

司会:イングリッシュマフィンの開発エピソードをお聞かせいただけますか。

鈴木:会社が東京市場へ進出する際、先発隊ということで、私と小川さん山口さんと派遣された当時、大きなオーブン2台と、フランスパン用のオーブン1台、それしかなかった。「Pasco」というブランドで八重洲と二子玉川に直営店をオープンすることは決まっていたけど、そこで売る商品は決まっておらず、自分たちで作らなくちゃならないわけです。レシピもなければ、人もいない。そういう、ないない尽くしの状況でのスタートでした。そこで、まずは直営店のための商品作りをしようと、ホテルやベーカリーを回ってアイデア を探していたんです。当時、目新しいパンとしてイギリスパン、それからイングリッシュマフィンもありました。それらを、どうやって作るんだろうって意見を出し合って、小川さんや山口さんたち製造と設備とでいろいろ試行錯誤しながら商品を考えていきました。イングリッシュマフィンの最初は、そういったアイテムのひとつだったんです。

こんなの売れるのかな…と思いました。(小川)

小川:ある日、事務所に行きましたら上司から、「イングリッシュマフィンを試作するよう指示があったので手伝ってくれ」ということを言われました。イングリッシュマフィンっていう名前も聞いたことない。初めてです(笑)。焼いてすぐその場で食べたんですけど、生地が硬いっていうことと、生焼けっぽい感じを受けました。こんなの売れるのかなと思ったのを覚えています(笑)。 その後、当時の製造課長の竹田さんがアメリカ研修から帰国されました。その時に事務所の階段でばったりお会いしまして、「小川君、イングリッシュマフィンのいいレシピが入ったぞ」ってニコニコしながら言われたんです。 竹田さんはライ麦食パンの勉強でアメリカへ行っていたのですが、そこでイングリッシュマフィンの美味しさに感動されたそうで(※)竹田さんの持ってこられたレシピをもとに、急ごしらえのオーブンで、時には火傷もしながら試作をはじめました。夏でしたから、非常に暑い思いをしました。その時に山口さんに、自主開発で素晴らしいオーブンを作っていただいたんですよね。
※開発エピソードもご覧ください。

結局自分たちで機械を見つけたり、
イチから作ったりしました。(山口)

山口:イングリッシュマフィンのあの独特の形を出すために、生地をリング型に入れたら、上下をふさいで火を当てて焼かなくてはいけないのですが、当時はそんなオーブンがなかったので、一回熱を入れた鉄板をテーブルの上に置き、イングリッシュマフィンの生地をいれたリングを並べて、上に鉄板をかぶせてもう一度オーブンに入れて焼いていました。これは大変な作業ですし、取り出しの際に上下の鉄板がずれて火傷をすることもありました。作業効率を上げるために、既存の鉄板を折り曲げて熱が効率よく上下に当たるようにと、自分たちでイチから鉄板を作ったりしました。
また、イングリッシュマフィンの生地は水分量が多くドロドロで、今までの食パンの生地と全然違うものですから、非常に扱いづらいということもありまして、最初に作る生地玉を分割する面でも随分苦労しました。そこで、鈴木さんに何かいい機械はないか探してもらいまして、“ローターマット”という分割丸め機を導入してから、生産能力も上がりました。そうこうするうちに、ひょんなことからたい焼きとか、どら焼きを焼いてひっくり返す機械があるじゃないですか。それからヒントを得て、火傷の原因だった鉄板を持たんでもいい道具を作りましょうということで、オリジナルで焼き器も製作したんですね。

鈴木:今のどら焼き器の感覚だよな。

山口:そうです。それで生産能力が上がって、生産量がある程度カバーできたんです。その後、鈴木さんにアメリカから連続的に焼けるオーブンを導入してもらったんですが、これが下火だけだったので、上面がしっかり焼けずに全然商品にならなくて。で、下向きに熱の出るバーナーを付けて。それで何とか今のこういう商品ができるようになった。そこまでたどり着くまでにだいぶ苦労しました。

司会:私が製造の方に聞いた話では、現代もやっぱりイングリッシュマフィンの生地はすごく扱いづらいとおっしゃっています。

山口:それはあると思いますね。

鈴木:商社もいろいろ相談に乗ってくれて。そういう機械も今のローターマットも、結局みんな自分たちで話しながら機械を見つけるというような、本当にそうやってみると当時のゼロスタートって非常に懐かしいものがあるなぁ。

司会:そのゼロスタートから10年ほどの間、なかなか販売面も苦しかったと伺っています。それぞれの部署でどんな思いで仕事に打ち込まれていたのでしょうか。

中に何も入っていないとお叱りを受けました(笑)(坪田)

坪田:Pascoは東京市場には後発メーカーとして進出したので、既存メーカーとの違いを出すために当時悩んでいましたね。これがなかなか難しい。その時、一番Pascoブランドの顔になる商品がイングリッシュマフィンでした。イングリッシュマフィンのPascoです。という形で取引先を開拓するのにとても役に立ったことは数知れませんね。ただ、これを売るのは大変苦労しました。特に、お客さまにイングリッシュマフィンの良さを理解してもらうのがなかなか大変で。”中に何も入っていない“、”あんこが入ってない“とか(笑)、本当に日常茶飯事でそういう問題が起きていましたから。イングリッシュマフィンを売るのにはよく説明する必要があるということで、販売員を店頭に丸一日つけるわけですけども。一日20袋ぐらい売るのが精いっぱい。その結果売っても、後で厳しいご指摘が来る(苦笑)。今でこそイングリッシュマフィンと言えば、我が社の看板商品ですけど、非常に印象深いですね。

命懸けてやってました。(磯貝)

磯貝:私がはじめてイングリッシュマフィンを見たとき、まず見た目でびっくりで、食べてみたらもう…。僕はコカ・コーラを最初に飲んだ時のようなショックだったんです。こんな新しい食べ物があるのかという。でもスタートしてからかれこれ5・6年は、本当に厳しいご指摘ばっかりです。やっぱり、“どうしてあんが入ってないんだ”とか何とか(笑)。当時は、手紙がしょっちゅう来ました。僕は全部、その日に手書きで返事を出していました。あの頃はみんなそれが普通でしたけど。とにかく最初の5年間は本当に苦労しました。

司会:その5年間、売れないし、厳しいご指摘も多かったのに、イングリッシュマフィンを売り続けてきたわけですが、この商品が50年続けて愛される商品になるというイメージはありましたか?

磯貝:持ってました。イングリッシュマフィンはPascoブランドそのものだって。今でこそ「超熟」があり、「国産小麦」があり、Pascoブランドを背負うものはいっぱいありますけど、当時はなかったんです。だから僕は、これがPascoブランドをブランディングできる商材だという信念でやってました。命懸けてやってました。阿部さんがこのパッケージデザインをつくる時に命を懸けたのと同じです。
※現在のパッケージの元となる、イングリッシュマフィンの食べ方を前面に現したデザインは阿部氏が考えたものです。

阿部:イングリッシュマフィンはPascoのイメージシンボルになるなと。その頃みんな角型の食パンしか食べてないので、‟丸いパン”っていうのがすごくインパクトがあると思いましたね。これをとにかくPascoのロゴと一緒にドッキングさせるんだ、とずっと言ってました。

坪田:私が東京に来て、みなさんと会った時に、すでに確信めいたものはみんな持ってたよね。

磯貝:それは販促企画をする私や阿部さんもそうだけど、営業を担当されていた坪田さん、みなさんやっぱり信念を持ってました。‟イングリッシュマフィンを育てなきゃな”という。だから最初は、費用対効果でも随分赤字が出ましたが、上司も‟健全な赤字は構わない”と仰ってくれていたのも印象的です。当時、こんな作りにくいし、売れにくいパンを量産するメーカーはどこにもなかった。イングリッシュマフィンを持っていたことがとてもラッキーだったんです。

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