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敷島製パン創業者 盛田善平 ストーリー

敷島製パン創業者 もりぜんぺい
ストーリー

敷島製パン株式会社は、1920年に創業者 盛田善平の『人々を食糧難から救いたい』という願いから生まれました。常に時代の先をよみ、「麦」を主材とした事業をダイナミックに展開し続ける起業家精神の持ち主だった善平の足跡を、数々のエピソードでご紹介します。

善平のアイデア

創業者の盛田善平は、食糧難解決のためには国民に広くパンを普及させる必要があり、そしてパンを普及させるためには、良い品質であること、手頃な価格であることに加え、宣伝により関心をもってもらうことが必要だと考えました。
善平はビール・製粉事業で発揮した宣伝広告の才を、パン食普及のために注ぎ込みました。

「宣伝部」と名付けた直営店

1920年、名古屋市内の広小路通に「中央販売店」を開店。翌年には広小路本町に「シキシマパン中央宣伝部」を設立し、その後も「栄町宣伝部」「岐阜宣伝部」「豊橋宣伝部」と次々と直営店を開設しました。当時、直営店のほとんどに「宣伝部」という名前をつけていたのは、パンを広めるための宣伝を行う店(今でいうアンテナショップのような店)として位置付けていたためです。

シキシマパン中央宣伝部

カタカナ表記の「シキシマパン」

善平は、店名や店看板に当時としては珍しいカタカナを用いました。従来であれば「敷島麺麭」と漢字にするところを、カタカナで「シキシマパン」とすることで、新鮮な印象をもたせるだけでなく、子どもでも読めて、新しい商品である「パン」をより多くの人に知ってもらい、なじんでもらうことができると考えたためです。赤地白抜きのカタカナ看板は非常に目立ち、創業当時から大きな宣伝効果を生み出しました。

広告用のホーロー看板

フォードのトラックでパンを運搬

創業当時、パンの運搬には自転車に木箱を取り付けた箱車の使用が一般的でした。善平は「こんな能率の悪い仕事をしていては、パンの味も落ちる」と考え、フォードのトラックを新調。ボディには大きく「シキシマパン」と書きました。当時は自動車がまだ珍しかったこともあり、配送車が通りかかると、子どもが母親にパンをねだる光景がいたるところで見られ、宣伝効果はてきめんであったと言います。また、運転手も乗馬服に皮のゲートル*というモダンな制服で宣伝を担い、街でも評判でした。

*ゲートル:脛(すね)を覆い、保護するために足に巻く布や革の装備品。

配達用箱車 創業当時の本社前にて
配達用フォードトラック 栄町宣伝部前にて

揃いのユニフォームで宣伝

1922年、名古屋市内の東新町に「第二宣伝部」を開店。店員が「シキシマパン宣伝部」と書かれた白抜きの赤いたすきをかけ、頭にはトルコ帽という、当時としては奇抜なユニフォームで揃えて、話題となりました。

トルコ帽をかぶった店員

象を使った開店パレード

1925年に「栄町宣伝部」を開店した際、善平は市民をアッと言わせる奇想天外な宣伝を考えました。名古屋に来ていた木下大サーカスから2頭の象を借り受け、宣伝隊の先頭に立たせたのです。象の背には「開店大売出」「シキシマパン」と大きく書いた大行灯を飾り、揃いのユニフォームを着た店員の一行がのぼりを担いで、ジンタ(少人数の楽隊)の伴奏する景気のいい行進曲に合わせて広小路通りを練り歩きました。善平のこのアイデアは見事に当たり、一躍「パンといえばシキシマ」といわれるほどの印象を与えたと言われています。

栄町宣伝部開設記念宣伝